07.08.10 (私の仮称)「十日参り」、鎌倉の寺四箇所を参拝。
(17.11.19 たまたま見つけた際に、一部修正。)
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(17.11.19 一部修正。たまたま見つけた際に、このページをリンクターゲットにして
頻繁に他の記事へ事情説明として引用してきたことに気づき
稚拙ナンセンスお馬鹿文章は なるべく塩漬け保存のまま一部修正。
文中のリンク切れは無視。← ↑ この文言すら他所からの ほぼコピー&ペースト )
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・本日8/10は 盆行事の一つとされる鎌倉花火大会ですけれども、
鎌倉の寺を4つ参拝する用事がありました。
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これまでは 早朝4:15am頃に家を出ていましたが、
今日は寝坊をして4:45am頃に家を出ました。
この地域の風習で、身内の者が亡くなると三年間参拝します。
H11に母が H14に兄が亡くなって、H12~17の6年間続けました。
この間に 父の妹である叔母とその夫が亡くなり
父の兄である伯父も2年前に亡くなって、
父が参拝するのを私が代行していたら
結局 H12から今年H19で8年連続になりました。
「十日参り」といって、
早朝の内に「安養院」「杉本寺」「覚園寺」「長谷寺」を参拝します。
人それぞれでしょうが、私は この順番で参拝します。
雨が降らない限り 私は自転車だから苦にはなりませんが、
特に雨の場合は自転車では困難だし バスが まだ走っていないし
自動車を横付けできない寺もあるので徒歩でのそれは大変なことです。
幸いにも、私は 雨に遭ったことはありません。
自転車に乗れない お年寄りにとっては、歩くのが困難な距離です。
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・8/16は「十日参り」とセットで、「円応寺」を参拝します。
・たまたま いつも重なる同日8/16の午後は、
実家菩提寺の施餓鬼法要のため 父の代行で私が出席します。
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( この間、削除。)
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1-01) 鎌倉市大町「安養院」山門 5:05am頃。
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1-02) 鎌倉市大町「安養院」山門。
いつもより30分くらい遅いので、まあまあの明るさで撮れた。
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2-01) 鎌倉市二階堂「杉本寺」参道入口。
金沢街道から撮った。 5:15am頃。
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2-02) 鎌倉市二階堂「杉本寺」 山門を見上げる。
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2-03) 鎌倉市二階堂「杉本寺」
山門下から、奥の苔生す階段を覗く。
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2-04) 鎌倉市二階堂「杉本寺」
山門をくぐり、苔生す階段を見上げる。
現在は通行不可。
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2-05) 鎌倉市二階堂「杉本寺」本堂。
数年前に屋根が葺きかえられた。
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2-06) 鎌倉市二階堂「杉本寺」
境内から、苔生す階段を見下ろす。
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3-01) 鎌倉市二階堂「覚園寺」山門前。 5:45am頃。
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3-02) 鎌倉市二階堂「覚園寺」境内から本堂を望む。
↑ おことわり: この日8/10の早朝参拝者は無料ですが
参拝料納付所内側から撮影禁止区域なので、
この写真は参拝料納付所の手前からズームで撮ったものです。
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4-01) 鎌倉市長谷「長谷寺」山門。
法事の正式名が書かれた看板を
撮ったつもりだったが、反射して読めない。
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4-02) 鎌倉市長谷「長谷寺」
茶店室内から、自宅方向を撮った。
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4-03) 鎌倉市長谷「長谷寺」紫掛かった白の百日紅。
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4-04) 鎌倉市長谷「長谷寺」百日紅。
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4-05) 鎌倉市長谷「長谷寺」大手毬
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4-06) 鎌倉市長谷「長谷寺」
大手毬を撮ったつもりだったけれども、
百日紅かもしれない?っと自信がなくなった。
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4-07) 鎌倉市長谷「長谷寺」木槿(槿、むくげ)
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4-08) 鎌倉市長谷「長谷寺」むくげ
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4-09) 鎌倉市長谷「長谷寺」アメリカフヨウ。
何故「ヨ」が小さいの?どう発音するのじゃ?
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4-10) 鎌倉市長谷「長谷寺」アメリカフヨウ
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4-11) 鎌倉市長谷「長谷寺」庭園から山門を見る
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4-12) 鎌倉市長谷「長谷寺」庭園の桔梗
”早朝の鎌倉材木座海岸 07.08.10 ” へ続く。
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この記事へのコメント
mitch
mitch
調査したわけではないのですが・・・
現在では、鎌倉のごく一部の地域だけに残った風習なのかもしれません。
鎌倉「市」は とても広いのですが、
海と三方の山に囲まれた地域のみに残る?風習なのかもしれません。
三方山の 海岸線の西方一端が稲村(稲村ガ崎)で、
東方一端に 私が住んでいます。
今は 逗子市なのですが、鎌倉時代の要衝「住吉城」が在った地区であり
当時の 魚介類を供給する漁村で 鎌倉幕府の文化圏だったと
されています。
「十日参り」も その名残りなのかもしれないと考えています。
同じ逗子市でも 一山越えると=鎌倉幕府の文化圏から遠ざかる と、
友人と その家族に聞いた限りでは、そんな風習は無いそうです。
廃れてしまったのかもしれません。
私自身ですら、母が死んだことで これを知ったくらいですから。
こちらでも 施餓鬼は 新盆の家だけが寺へ集まるのが一般的のようです。
私の寺の場合は、本堂の収容人員都合上 新盆の家だけで満杯です。
外のテント席で 最初から法要読経に参列する人もいますが、
私を含めた大部分の人は 読経が終る頃を見計らって寺へ来ます。
申し込んだ塔婆が配られる時間帯を見計らって来ます。
更に私の場合は、
申し込んだ塔婆代と 施餓鬼料を納める目的もあります。
係りの人「護持会」役員 が ’受付コーナー’で 精算してくれます。
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「アメリカ・フョウ」は、誰が書いたのでしょうかねぇ・・・
格式云々とは別の視点で、
「長谷寺」は 継続的な手入れを要す庭が広い有数の寺です。
だから、
庭師を含む寺の作業をする 僧籍でない多くの人が従事しています。
札へ花の名前を書くことなんか、ボーさんはしないと思いますけどねぇ。
蘭子
その土地によって供養の仕方が色々あるのですね。
4つのお寺をお参りする十日参りは知りませんでした。
うちの方では、施餓鬼法要は新盆の家だけがお寺に集まります。
今年は村で11軒。全部終わるまで足がしびれないか心配です。
ところでアメリカ・フョウはやっぱり「フョッ!」っと
発音するのではないでしょうか?爆
しかし、この札を書いた人はお坊さんですかね?