20.03.12Q #逗子 、’ #小坪路 ( #小坪切通 ) ’ 名残の場所に集積安置された #庚申塔 / #こつぼみち #こつぼきりみち #東海道古道


20.03.12Q  逗子、’ 小坪路(小坪切通) ’ 名残の場所に集積安置された庚申塔


image from lh3.googleusercontent.com 



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P  ” 海前寺 ” からの続き


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Webサイトでの「小坪路」記述の中には二箇所在るとの説もあるが


その説ならば 私が中世の?と思う自宅前の 古い谷戸の道 の方では ’ なくて ’、


このページは 元の古道を 土木技術が進んだ江戸時代に拡張したのか?と私が思う ’ 海側の道 ’。 


この日に海前寺周辺通過の際に当場所の雑草の高さが たまたま低くて踏み入れる気に


なったので漫然と撮っただけ と ただ写真を貼るだけの散策行程メモのつもりだった。


放置していた20.03.12写真整理再開で


例えば ’ 小坪路+こつぼみち+小坪切道+小坪きりみち ’ などで検索したら、


古道探索・庚申塔探索・祠探索・道祖神探索 などの愛好者が居られることを知り


その方々のご研究成果の足元にも及ばぬ恥ずかしいキャプションを添えた。


01) 「海前寺」境内外縁淵の真下辺り。


逗子マリーナ(の集合宅地群)で埋め立てられる前までは、


           写真左の民家を越えた左下は海だった。


以下の写真、前方は廃道というか 崖が開削されて寸断。


後方は古道の名残として、


小坪寺(しょうへいじ)」~


      ~(「伊勢山トンネル」反対側)R134切り通し側の橋桁下辺りへ抜ける。


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02-1) 写真01)奥の、寸断された終端場所。


写真の区域は狭隘だが、奥の 元 ’ 高射砲台跡 ’ 周辺は


2m(~3m?)ほどの道幅で踏み固められたような平坦だった。


(鎌倉市材木座側 ≒ )飯島側「正覚寺」~ここ「海前寺」側には、


逗子マリーナ宅地で埋め立てられる前の近年まで


江戸時代か?に崖の中腹を削った道が存在した。


自宅は山側なので利用は稀だったが、


私が小学生中学年までは 海側在住者にとっては現役の古道だったと思う。


大戦末期には崖中腹の道沿いに洞窟高射砲台が設置されたそうだが、


終戦直後には残っていた  火薬の爆発で多数の子供が死傷した。


大人は洞窟に逃げ込んで炎から逃れられたのか?で、


伝聞では難に遭った子供のことばかりの記述が多い気がする。


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写真中央の石柱が古道の謂れを識ることができる道標だとしたら、


刻まれた文字を撮らなかったことを悔やむ。


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02-2) 写真左奥で寸断された場所に集積された庚申塔群。


左下カド方向は、嘗て断崖絶壁だった。


私ごとき若輩者でも通ったことがある。 


高射砲台跡/弾薬庫跡の壕か? も見たことがある。 


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02-3) 振り返る方向 


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<24.10.16 親戚筋の人名すら直ぐに思い出せなくなってしまった 私的メモ:


: ※ 私とは親子ほど?歳が離れた従兄弟が、爆発事故で火傷を負った。


不幸中の幸いで、落命せずに火傷だった。 横浜から疎開してきて、終戦直後の事故に遭遇。


事故に遭った子どもたちは私の親の世代か? と時代/年代計算ボケしていた私だったが、


遥か後年で 母の法事の際に (既に故人だった)従兄弟の長男がソノ当事者であることを知った。


生前の当人は、ファイトマネーを得られる程度のボクサーだった。


従兄弟のうち三男は、横浜「私立 武相高校」ボクシング部創設メンバーで、


次男の生前後年は アマチュアボクシング団体の幹部役員だった。


(私当家のことではないので自慢話ではないが)


従兄弟のうち三男の息子はバルセロナオリンピックに出場したことがあるアマチュアボクサー。 


 


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