20.10.29C #鎌倉 「 #厳島神社 」 _ #鎌倉市小袋谷


20.10.29C  鎌倉「厳島神社」 _  鎌倉市小袋谷


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B ” 成福寺 ”  からの続き


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「成福寺」隣の道を進む。


01) 宅地開発で住宅街にポツンと取り残された小高い亀甲山を登る、


    長短3本の参道階段。


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02) 2本目の階段を登りきった平場の、一の鳥居。 


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03-1) 一の鳥居を潜って直ぐ左の、


          ’ 鎌倉市指定有形民俗資料 石造庚申塔 ’。 


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03-2) ’ 鎌倉市指定有形民俗資料 石造庚申塔 ’ 


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03-3) ” 鎌倉市指定有形民俗資料 石造庚申塔 ” 解説ボード 


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< 現地説明ボードから引用 >
鎌倉市指定有形民俗資料
石造庚申塔
この塔は寛文10年(1670)の舟型塔で上部中央にキリク(阿弥陀)、
それより下方右にサ(観音)、サク(勢至)の種子が刻んである。
阿弥陀三尊の種子を塔につけた庚申塔としては鎌倉では最も年代が古い。
塔身には願文と思われる文字が刻んであるが風化がはなはだしく全体は判読できない。
下部の壇には、三猿が正面向きに右から
「雄のいわざる」「雌のきかざる」「雄のみざる」が横に並び、
悪いことは「いわない」「きかない」「みない」と教えている。
厳島神社の参道へ移すまでは、小袋谷の「水堰橋」の北側にあった。
平成17年(2005)
小袋谷厳島神社氏子会


注:庚申塔は干支の庚申(かのとさる)にあたる日に、
人の体内にいる虫が天の神にその人の罪を告げようとするため、
この日に限って徹夜するという信仰にもとづいて建てられたものといわれます。
また、庚申様は豊作を祈り、病や災いを防ぐ神としても知られています。


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04)3本目の参道階段で、登りきった平場から先は下り階段で反対側へ抜ける。


    神社境内は左上方向。 


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05) 二の鳥居。


   境内参道に対して直角横向きに社殿が建っている。


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06-1) 向かって左側の狛犬。(と、社殿前から見て前方向位置関係の境内)


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06-2) 向かって右側の狛犬。(と、社殿に向かって右側の境内)


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07-1) 「厳島神社」 社殿 _  鎌倉市小袋谷2-13-21


市杵島姫命( いちきしまひめのみこと )


橘姫命( たちばなひめのみこと )


応神天皇( おうじんてんのう )


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07-2) 手水鉢。 ただし、写真右奥で石祠の隣に水道設備がある。 


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07-3) 社殿に向かって左側に鎮座する、石祠。 


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08) 社殿に向かって右側位置関係の境内。 ベンチと遊具が備わっている。 


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09) 社殿前から振り返る方向の、広い境内。 


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御由緒: < 神奈川県神社庁Webサイトから引用
https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=411&cd=1205024&scd=&npg=25 >
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「相模風土記」には村持と見え、古くより弁天さまと称して村の鎮守であった。
現在は村内の吾妻社、八幡社を合祀している。
明治六年、村社に列し、
同二十二年、横須賀線の開通に伴い、小袋谷公会堂の所に遷し、
近くにあった吾妻社と並べて奉齋した。
又、成福寺境内の裏山には古くより八幡社があり、
鎮守神として成福寺が祀っていたが、後に村持となった。
これらの三社は毎年順に祭祀を続けていた。
関東大震災によって三社は倒壊し、
八幡社の所へ弁天さまを再建、他二社を合祀した。


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紆余曲折あって近隣の三社が合祀されたそうですが、


(横須賀線が「円覚寺」境内を突っ切ることになったと同じく)


’ 弁天社 ’ が立ち退くことになった経緯が下記Webサイトで解り易く説明されています。


Japaaan さまWebサイト _ https://mag.japaaan.com/archives/92052


” なぜこんなところに!?小さな石祠が物語る「日本と鎌倉の激動期」を紹介


「成福寺」参拝時に ’ 第一鎌倉踏切(鎌倉市小袋谷)’  からの写真を撮ったが、


反対側の踏切沿い路傍で鎮座する弁天社石祠を撮りそこなった。


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D ” 泉の井 ”  の前を通っただけ・・・ へ続く


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この記事へのコメント

  • mitch

    ’ nice! ’ を、ありがとうございます。
    2020年11月03日 03:03