ブックマーク: ’ #さんぽ絵ずし ’ さまの ” 記憶の #絵地図 スケッチ #谷戸 編2 ”

ブックマーク/embed: ’ さんぽ絵ずし ’ さまの ” 記憶の絵地図スケッチ 谷戸編2 ”
.

逗子市小坪(中世は 鎌倉郡小坪/小壺 とか文献に載った地域。

embedさせていただいたら手違いがあったのか?で あたかも私の投稿であるかのように表示されて恐縮ですが・・・
・・・画像 ↓ をクリックすると、拡大可能な Eri Miyazakiさま のページ へジャンプします。)

<キャプション転載>
記憶の絵地図スケッチ 谷戸編2
今回は前回の谷戸編よりもさらに北側の部分。
もともと、このあたりで育った義母(おばあちゃん)に聞かされていた話から、おばあちゃんが生まれた昭和20年ごろの小坪絵図絵をつくることを思い立ちました。今回はさらにもう少し年上の方にも話を伺えたので、まとめて絵地図スケッチの形にしてみました。
谷戸にそって連なっていた田んぼと、山の上に伸びていた畑は今ではほぼ全てが住宅に変わってしまっています。
その頃谷戸にあった家はぽつぽつと数軒のみ。漁港付近の密度の高さと比べると同じ町とは思えないほど。
昔の話を伺いながら、今の風景に重ね合わせていくのはとても面白いのですが、中でもひとつ、謎解きのようで面白かったエピソードをひとつ。
今、光明寺団地のあるあたりは、昔は尾根があって通り抜けできるほどの道らしき道はなかったようですが、戦後には平らに開かれて、近所の人がみんな勝手に耕して畑にしていたそうです。そのあたりのことを、おばあちゃんは野球場と呼んでいたと言っていました(絵図のじゃがいも畑と描いてあるあたり)。
その後、私が昔の航空写真を眺めていると、その一段下の今の鎌倉一中があるあたりがおにぎり形をしていて、野球場そのものに見えたので、もしかして本当にここに野球場があったのかも、と思ったのですが、おばあちゃんに聞いてみても、そんな話は聞いたことがないと言われ、まあ、そんな訳ないか、と思っていました。
ところが、先日、鎌倉のお年寄りの話がのっている資料を読んでいたら、一中の場所は昔は野球場だったという記載があり、実際、別のお年寄りの方に話を伺ったところ、やはり一中の場所は昔は野球場だったと言っていて、やはり、ここに本当に野球場があったことがわかりました。
おばあちゃんが野球場と呼んでいた畑はきっと、その名残で、野球場の近くの畑、という意味でその後も野球場と呼んでいたと思われます。
それほど昔のことではなくても、記録に残さないとどんどん埋もれていってしまう小さな歴史がたくさんあって、それをできるだけ拾っていくのが面白く、大事なことだと思っています。
*************************************************

cf. ブックマーク/embed: ’ 谷戸 編 ’ 

cf. ブックマーク/embed: ’ 鎌倉郡小坪 住吉城絵図 ’ 編

Q1  Q2






この記事へのコメント